*この記事はイトグチに2023年2月27日に投稿したものです。
東日本大震災から12年が経とうとしている。私は2021年10月に震災後初めて福島を訪れ、その時感じた気持ちを紹介した。そして2022年12月に再び福島を訪れた。今回はその時の足跡を紹介する。
旅のきっかけ
今回の福島旅のきっかけは、前回訪問の際に読んだ『新復興論 増補版』の著者、小松理虔さん(@riken_komatsu)のTwitterだ。
【先着限定3名】12月3日(土)朝9時15分JR泉駅集合で「Don't follow the wind」見に行くツアー開催。オレの車でロッコク北上して見に行きます。上野朝7時のひたちに乗るとぴったりなので東京在住の方もぜひ。リプライかDMください。
JR泉駅が何処かもピンときていなかったが「上野朝7時のひたちに乗るとぴったりなので東京在住の方もぜひ。」の一文にぐっときた。
スケジュールを確認すると、ちょうど空いている!単なる一読者で、ご本人との面識ももちろんなかったが、すぐにご連絡をしてみると、私も参加させてもらえることになった。
前回の福島旅以降、興味を持ってアンテナを張っていたつもりであったが、私はそもそも「Don’t follow the wind」なるものが開催されていたこと自体知らなかった。
東京電力福島第一原子力発電所周辺を会場に、2015年3月11日から開催されている壮大なアートイベントだ。様々なアーティストが参加しているが、その作品は帰還困難地域にあり、制限が解除になったときに初めて一般客が観ることができる。今回はエリアと期間を限定して一部作品が公開されており、それを観に行く。

いよいよ出発
上野で駅弁を買って7:00発の常磐線・特急ひたち1号に乗る。前回はJR福島駅まで新幹線を使い、そこから車で東→南下したが、今回はいわきの南に位置するJR泉駅から北上して東京電力福島第一原子力発電所周辺をめざす。
車内で『新復興論』を読み返す。この本で理解が深まったのは、福島県そしていわき市の立ち位置だ。いわきは首都圏の大量消費を支える大量生産に即した「バックヤード」だと語られる。
福島では震災以前から多くの食品が生産されてきたが、ブランド商品は多くなかった。例えば米も、ブランド米ではなくコンビニのおにぎりやお弁当、ファミレスなどの飲食産業を支える米を作ってきた。こういった産業はブランドよりも安さを求める。福島の米が災害によって出荷できなくなれば、一時的に市場は混乱するものの、産業側は他の地域の安価な商品を探して仕入れるようになる。「ブランドがない」とはつまり「いくらでも替えが効く」を意味するのだ。そんな福島の唯一無二は、やっぱり日本酒なんだな、と改めて思う。
(この後、道中で小松さんから、最近は福島も「福、笑い」や「天のつぶ」といったブランド米が生産されるようになってきたと教えてもらう)
9:00を過ぎて、車窓の外に煙突が見えてきた。そろそろ泉駅に到着だ。
個人旅行では見えないもの
改札を出ると小松さんが出迎えてくれた。今回のツアーは小松さんも含め6人で、東京からの参加は私を含めて3人。2台の車で海沿いを北上して「Don’t follow the wind」会場の双葉を目指す。小松さんの解説を聞きながらの贅沢な移動だ。
泉駅から海方面に車を走らせると、すぐに大きな工場と砂山が見えてくる。船で海外から輸入された火力発電の燃料となる石炭やバイオマス発電のペレットの積み下ろしをここでしている。教えてもらわなければ、目の前の風景が今の日本の電気を支えているとは気付かずに通り過ぎていただろう。
巨大なイオンモール、アクアマリンふくしまを眺めながらおしゃべりをしているうちに、車は木立の中を走る。新舞子浜は江戸時代のお殿様によって植林された。その当時の林を残したこの場所の津波の被害は他の地域に比べて軽減されていたそうだ。後日これについて調べてみた。地元の新聞には当時取り上げられていたようだが、この話も教えてもらわなければ、観光客の私は知らないままだった。
現地に来てみないと分からないことがある。現地に来ても気づかないことだってたくさんある。だから様々な人と、様々なタイミングで繰り返し訪れるのは意味のあることだと思う。
海沿いの道は国道6号線、通称ロッコクと合流する。東京オリンピックの聖火リレーのスタート地点となったJヴィレッジ近くには「道の駅ならは」がある。前回はここの温泉施設を利用した。ここまで来れば、東京電力福島第一原子力発電所、そしてその先の双葉駅もそう遠くない。昨年よりも立ち入り禁止のフェンスが減っているのに気付く。
Don’t follow the wind
JR双葉駅に到着した。車を停めて会場まで歩く。「ノン・ビジターセンター」は以前は倉庫として使われていたのだろうか、奥には和太鼓が置かれている。(双葉はせんだん太鼓が有名だそうだ。)ここで受付を済ませると、MP3プレイヤーとヘッドフォンと地図を渡され外へ出る。建物の前の空き地、ここが小泉明郎のインスタレーション作品《Home Drama》の会場だ。
映像画面には、今は空き地となったこの場所に以前は確かに存在していた家の写真が映し出されている。プレイヤーを再生すると「ただいま、おかえり」と、かつてこの家で当たり前に交わされていたであろう会話が、男性の声で語られる。方言の混じるその語りを聞きながら、地図を頼りに私たちは歩き出す。倒れたままの墓石、放射性物質のスクリーニング場、家の基礎だけが残る丘の上の住宅街。それぞれにどんな生活があったのだろう、そしてここに住んでいた人たちは今どこで何をしているのだろうと、ゆっくり歩きながら時間をかけて考える。繰り返される「ただいま、おかえり」は原発事故がなければ今も繰り返されていた会話のはずだ。観て聴いて歩いて見て聞いて感じる、その一連の流れに様々な気付きのきっかけを与えてくれるインスタレーションだった。
立派なお宅の前に派手な旗が立っている。売り出し中のモデルハウスか何かかと近づいてみると「家屋解体中」の文字が見えて胸が締め付けられる。「ノン・ビジターセンター」へ戻る途中で大きな虹を見た。






そして再びの伝承館
お昼ご飯は、前回同様に双葉町産業交流センター。今回は焼きそばではなく、温かいラーメンをいただいた。食後は東日本大震災・原子力災害伝承館へ向かう。同じ展示も一緒に行く人が変われば、感じ方もまた変わる。例えば入口すぐに展示されている年表。炭坑の時代から始まるこの年表について、小松さんは「その前の歴史や伝統が、未来の共通言語となるはずなのに、ここには書かれていない」と言う。また伝承館を見て感じたことを共有できる場もあったらいいのにと言っていたのも印象的だった。
帰りの道すがらには福島第二原子力発電所と広野火力発電所が両方見える場所へ案内してもらった。左手に原発、右手に火発、目の前には太平洋、後ろにはそびえ立つ崖。「本当に今使っているほどの電力は必要か」と前回、被災者のお一人から受け取った問いを思い出さずにはいられない。
いわき駅まで送ってもらい、駅近くの横丁で地元のお酒を楽しんで、帰りのひたちに乗った。普段は忘れて暮らしていたとしても、東京から日帰りができる場所に、廃炉作業の進む原発も帰還困難地域もある。あれから12年、私は何をして何が変わったのだろう。私はまた「Don’t follow the wind」の別の作品を観に、ひたちに乗るだろう。

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