地震より火事より怖いものを防げるか

*この記事はイトグチに2023年1月16日に投稿したものです。

2023年1月17日、阪神・淡路大震災から28年目を迎える。そして今年は関東大震災から100年目の年でもある。私自身が防災士なこともあり、イトグチでは防災関連の話題を取り上げてきた。

▪️今だから見直したい防災記事まとめ

今回は少し視点を変えて、過去の震災で起きた出来事を3冊の本から紹介したい。

『九月、東京の路上で』加藤直樹

『関東大震災の直後 朝鮮人と日本人』西崎雅夫

『トリック「朝鮮人虐殺」をなかったことにしたい人たち』加藤直樹

どれも関東大震災後に起きた朝鮮人虐殺を扱った本だ。私がこれらの本を知ったのは、昨年2022年9月1日。たまたま聴いていたTBSラジオ『アフター6ジャンクション』のオープニングトークで番組パーソナリティの宇多丸さんが紹介していた。

関東大震災といえば、火災による被害のイメージが強い。東京・両国にある都立横網町公園では、火災によりここだけで3万8000人が命を落としたという。私は公園と併設する東京都復興記念館を訪れたこともある。全体で10万人近くが亡くなったと言われる震災と火災の直後に、一体どういった「虐殺」が行われたのか私は想像ができていなかった。紹介されていた本をすぐに手に取った。

想像以上の凄惨さ

1923年9月1日、関東大震災発生直後「朝鮮人が暴動を起こしている/井戸に毒を入れた」などのデマが広がり、民間人の自警団によって朝鮮人に対する虐殺行為が行われた。行政機関もこのデマを信じ、軍や警察官による虐殺行為も行われた。その後、朝鮮人の暴動などの事実はないと分かり、国が虐殺の抑止に動き始めるのは9月3日になってからだ。しかしデマは避難民と共に拡散し、その後も虐殺は続いたという。またこれらの動乱に乗じて、無政府主義者の大杉栄、伊藤野枝らが憲兵隊によって殺される甘粕事件も起きた。

現在の東京都江東区や墨田区、横浜などを中心に、埼玉、千葉、群馬など、虐殺の犠牲者は数千人と言われている。一ヶ所で数十人から百人以上が殺された所もあった。

本にはこれでもかという位に、日本人の自警団による虐殺を目撃していた数多くの人たちの証言が集められている。自身も自警団に参加した人の証言や、自警団を真似する子供たちの描写もある。内閣府では災害教訓の継承に関する専門調査会報告書を公開しており、『1923 関東大震災第2編第4章』にも虐殺に関する記載がある。当時一体何が起きていたのか、少しでも覗いてみてほしい。

殺されたのは朝鮮人だけではない。中国人、そして日本人も東北や沖縄など方言のある地方出身者たちが犠牲となった。その理由は、朝鮮人に発音のしづらい「十五円五十銭」をはっきり発音できるかどうかで、虐殺対象者の判断をしていたからだ。

その規模、また虐殺の方法(ここには書きたくないほど酷い)も含め、その内容は私の想像を大きく超えていた。地震や火事よりも、人間の方がよっぽど怖いと感じた。本の中にはデマについて懐疑的な人、朝鮮人を守ろうとする人も出てくる。しかしいざ地震が起こり火事が起こった極限状態の中で、行政や警察からも流れてくる情報の一つひとつに、それがデマではないかどうか冷静な判断ができる自信と確信を、私は持つことができなかった。

現代では起きないと言えるか?

当時の出来事は、情報が充分に得ることのできなかった環境的要因で、インターネットで情報が取れるようになった現代では起こり得ないと考える人もいるかもしれない。

『九月、東京の路上で』で加藤は、2005年にアメリカで発生したハリケーン・カトリーナでの現地の様子や、日本国内のヘイトスピーチを例に挙げる。2016年の熊本地震の際の「ライオンが逃げた」デマツイートも記憶に新しい。こういった事例をみると残念ながら、デマとそれに伴う虐殺が現代で起こらないとは言い切れない。

いつか来るかもしれないその状況にどのような備えをすればいいのか、私にはまだ答えが出ていない。デマは日頃からの差別意識が原因の一つになるだろう。自分の心にある差別意識に気づき、向き合いそれを無くしていく努力、そして過去を知りそこから学ぼうとすることはできる。できれば、行政や政治家も歴史から学び、差別をなくすような社会を目指してほしいと願う。

しかし実際にあったこの悲しい出来事に対して「虐殺はなかった」という否定論者が存在し、一部の新聞や行政、政治家に影響を与えている。ここでも差別意識を持った人間の怖さを感じずにはいられない。『トリック』を読むと、否定論者がどのように事実を捏造していくのかがよくわかる。資料の都合のいいフレーズだけを引用し、全く違う文脈で「証拠」として扱う。参考文献の原典にあたる重要性についても改めて感じる。こういったトリックに迂闊に引っかからないよう、情報を受け取る側が学ぶことも必要だ。差別を助長するような態度の政治家に対しては意見を挙げたり、投票行動を起こすこともできる。

少しづつ広がった知識が繋がる

ラジオ番組の中で宇多丸さんは毎年繰り返し同じ話をし、同じ本を紹介している。そのおかげで私は昨年、偶然にこの事実を深く知ることができた。しかし私はそれ以前から至る所で無意識に関連情報には触れていたのだ。

例えば、2019年のNHK大河ドラマ『いだてん』で、震災直後に登場人物が自警団によって日本人であるかどうかを問われるシーンが、ぼんやりと記憶に残っていた。また数年前に読んだ本、伊藤野枝を扱った『村に火をつけ、白痴になれ』でも甘粕事件は触れられていた。それにも関わらず特に気に留めておらず、深く調べようともしていなかった。今回それらの情報も含め、やっと関東大震災時に日本人が起こした虐殺として理解が一つに繋がった。

否定論についても、過去に観た映画『否定と肯定』(ユダヤ人大虐殺・ホロコースト否定論と闘う歴史学者の実話)の話とも繋がり、その対峙の方法に理解を深めることができた。

知識って、じわじわと後から効いてくるんだなぁと実感する。今年も想像のできない明日に備え、コツコツと多様な知識を蓄え繋げていきたい。

阪神・淡路大震災、関東大震災により亡くなった人のご冥福をお祈りするとともに、9月1日には虐殺の犠牲となった方達に対しても手を合わせたい。

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